UNEMPLOYED ECONOMICS

失業中で暇な人が経済学を学んでいくブログです。

放送大学『財政と現代の経済社会('19)』第11~13回

録画しておいた放送大学『財政と現代の経済社会('19)』の第11~13回を視聴しました。

 

第11回では、「持続可能な発展」を支えるために政府財政がどのように貢献できるか、第12回では、中央政府と地方政府の間でどのように機能・財源配分すべきかについて学びました。

第13回では、いよいよ「公債論」について学びます。

 

ここでの議論のポイントとなるのは、「政府支出には経済効果があるのか?」「公債発行は将来世代の負担となるのか?」の2点かと思います。

ケインズ経済学の考え方では、最も経済効果が高いのは「中央銀行引き受けにより公債を発行し、政府が財政支出する」場合、次いで「市中消化により公債を発行し、政府が財政支出する」場合、最も経済効果が低いのは「増税して、政府が財政支出する」場合となるようです。

中央銀行引き受けにより公債を発行する」という方法は、日本では財政法第5条で禁止されていますが、市中銀行が購入した公債をただちに中央銀行が購入することで、実質的に中央銀行引き受けにより公債を発行することができます。

日本銀行が現在行っている「量的・質的金融緩和」政策は、実質的に中央銀行引き受けで公債を発行しているということになるのではないかと思います。

しかし、その経済効果については、確かに様々な経済指標は改善したものの、長期的な経済成長を促しているのかというとちょっと疑問です。

結局のところ、ケインズ経済学の枠組みが正しいのは、あくまでも短期的な経済についてであって、長期的な経済については、新古典派経済学の枠組みで考えなければならないのではないでしょうか。

すなわち、深刻な景気後退時に「政府が国債を発行して、財政出動する」政策は正しいですが、長期的な経済成長を目指してそのような政策を行うのは、あまり意味がないのかもしれません。

 

デヴィッド・リカード(David Ricardo, 1772-1823)の「リカードの等価定理」と呼ばれる考え方では、公債発行により財政支出を拡大しても、人々は将来の増税を見越して消費を縮小してしまうので、結局は増税により財政支出を拡大するのと変わりがないことになります。

ということは、公債発行は将来世代の負担とはなりません。

ロバート・バロー(Robert Joseph Barro, 1944-)の「バローの中立命題」と呼ばれる考え方では、「リカードの等価定理」を拡張して増税が行われるのが将来世代であると仮定していますが、それでも人々は子供の負担を見越して消費を縮小してしまうので、やはり増税により財政支出を拡大するのと変わりがないことになります。

ということは、公債発行は将来世代の負担とはなりません。

 

私はこの考え方には、「はたして人々は、公債残高を見ながら消費するのだろうか?」とかなり疑問に感じます。

やはり、公債発行は将来世代の負担となるのではないでしょうか。

ただし、内国債で国民が国債を購入している場合に限り、将来世代の負担とはならないと思います。

現在の日本はこの場合に当てはまるように思えますが、注意しなければならないのは、国債を購入しているのは「銀行」であって「国民」ではないということです。

つまり、将来的には「国民から銀行へと所得移転が行われる」という意味で、やはり負担となってしまうわけです。

確かに、銀行も国民の一部だと言えますが、国民が貧しくなって銀行が儲かることを「負担ではない」と表現するのは、ただの詭弁に過ぎないと思います。

 

では、中央銀行国債をすべて買い取ってしまったとしたら、どうなるでしょう?

この場合は「国民から中央銀行へと所得移転が行われる」わけですが、中央銀行の利益は政府に還元されるので、結局は国民から政府へと所得移転が行われるに過ぎないということになるように思います。

では、将来的にも増税を行わずに国債を増やし続けたとしたら、どうなるでしょう?

この場合は、いずれ「インフレ税」という形で、結局は国民から政府へと所得移転が行われるに過ぎないということになるように思います。

私には、どのように考えても公債発行は将来世代の負担となるように思えるのですが・・・。

 

いずれにせよ、この講義だけで「公債論」について議論するには、知識が足りなさ過ぎるように思います。

この講義を基礎として、今後も「財政学」や「公債論」について学んでいく必要があると感じました。