録画しておいたBS-TBS『熱い嵐』を視聴しました。
これは1979年2月26日に放映された3時間ドラマで、日本銀行総裁、大蔵大臣、内閣総理大臣等を歴任した高橋是清(たかはし・これきよ)の生涯を描いたものです。
アメリカで奴隷に売られたり、芸者さんとの恋に溺れたり、ペルーで鉱山開発に失敗したりと、まさに七転び八起きの波乱万丈としか言いようのない人生を送っているんですね。
私が興味あるのは、1931年12月~1936年2月のいわゆる「高橋財政」です。
金融緩和、財政拡張、日銀による国債引き受けを行い、現在のアベノミクスの手本のような存在となっています。
しかし、日銀による国債引き受けを行ったことで財政拡張に歯止めがかからなくなり、軍事費の膨張を抑えようとした高橋是清は、軍部の恨みを買って二・二六事件で暗殺されてしまいます。
銃弾を何発も打ち込まれた上に、軍刀で切り付けられていたようなので、いかにひどく恨まれていたかが伺い知れますね。
高橋是清亡き後は軍事費がますます膨らんでいき、1941年12月に日米開戦を迎えることとなります。
出典:財務省「財政統計(予算決算等データ)」
このドラマから、印象に残った高橋是清のセリフを書き出してみたいと思います。
「赤字国債も、来るところまで来た感じだね。
高橋財政の一時の便法だよ。
これ以上国債を増やせば、悪性インフレになる」
「高橋財政は、日本経済の生産力を高めるためだったんだ。
何にも生産しない軍事費を捻り出すための便法じゃありません。
まあ、景気も回復したし、これからは亡くなった井上君 *1 じゃないけれども、緊縮財政に転じなくちゃいかん。
公債の発行を徐々に減らしてだね、少しずつ金利を上げていく・・・財政は現実に見合う柔軟性が身上だ」
この苦い経験を基に、戦後は財政法第5条で日銀による国債引き受けを原則として禁じているわけですね。
「日銀による国債引き受けで、ヘリコプターマネーだ!」って主張するのもいいですが、歴史の教訓を踏まえた上で考える必要があるのではないかと思います。
※注:2016年9月9日にAmebaブログにて投稿した記事を転載しています。